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「これはなんだい?」
「河童の先輩だよ」


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岩手県遠野市に行くと河童の置物が町中で見られる。


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一昨年の冬に初めて遠野に訪れた。
透き通った川や大きな山に囲まれ、世俗との隔離感が心を静かに落ち着かせた。

なぜ急に遠野のことが書きたくなったのか。
僕は今過ごしている季節に、その季節らしいことをしたくなる。
夏には夏らしいことをする(スイカを食べたり夏をテーマにした映画を観たり)などだ。

つい最近までは夜に怪談動画や本を読み、さむけを感じながら
夏のひと時をたのしんでいた。

その時ふと、遠野のことを思い出した。
遠野といえば、「遠野物語」という有名な妖怪をもとにした民話集がある。
どれも土着的で、その土地のもつ空気や風習から生まれた話はどれも
なまぬるいような不気味で不思議な匂いをかもしだしている。

だが、遠野ではお話を読むよりも深く「さむけ」を感じることがある。
特に夜や長屋といった旧民家だ。

現在僕は主に都内で生活しているが、日が暮れても街の明かりは消えることはなく
夜はおとずれない。人の姿も尽きることはない。

現代の街中は、スマホ、映像パネル、人、明かり、電飾、電車、などなど人工的な
刺激物にあふれている。
そういったもののひとつひとつに反応していたら身が持たないので
人は感覚を鈍くし、適応して生きていく。

しかし閉じたセンサーはやがて内側へと向いて
必要以上に存在意義を自分へ問い、孤独感がまとわりつき、生きることに疲れてきたりする。

そんな状態に慣れてしまった頃に遠野のような、刺激物が少ないところに
いくと、身体中のセンサーが外側へ向いていく感覚がわかる。

どんなに目をこらしても一寸先の見えない夜の闇に恐怖し
自分の足音とは別の、床の軋む音に想像が膨らんだり
土や風の匂いが、遠い故郷に似ていることに気づき懐かしさを感じたり
雄大な山や川、森に囲まれると、自然に生かされているんだな、と実感する。
土地のあちこちに様々な妖怪や神々が生まれたことに納得するような力強さがある。

そういったものに触れたとき、無性に誰かと話したくなったり
いつもより優しくなれそうな気がしたりする。

汗をかいて、溜め込んだ老廃物を身体からだすように
時には心も動かして汗をかかせる必要があるんじゃないか。

そんなとき、遠野の風景を思い出すのである。


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